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テレビジョン分析の現在 mell公開研究会2003.12
長谷川一/2004.1

「テレビジョン分析の現在:『知恵の木』プロジェクトの試み」

12月のメルプロジェクト公開研究会は、東京大学大学院情報学環教授の石田英敬氏をお招きし、同氏を中心に展開中の「テレビ分析の知恵の木」プロジェクトについてお話をいただきました。記号の知を情報の知と接続することをめざすこの研究では、テレビ番組をテクストとして記述するために、番組をパソコンにとりこんで分析する手法の開発を進めていらっしゃいます。参加者それぞれにユニークなインスピレーションを与えたであろう刺激的なお話から、参加者との質疑応答まで、密度の濃い研究会でした。

2003年12月メルプロジェクト公開研究会

○ 日 時 12月13日(土)午後3時〜5時30分
○ 場 所 東京大学本郷キャンパス 大学院情報学環暫定建物二階会議室
○ 参加者 約40名
○ テーマ テレビジョン分析の現在;「知恵の木」プロジェクトの試み
○ 登壇者 石田英敬(東京大学大学院情報学環・教授)
○ 報 告
 フランス文学研究から出発し、記号学や言語学など人文科学の枢要な領域に幅を広げて活躍してこられた石田英敬氏による発表は、自らの来歴をとおして人文知の現在を測量することから始まりました。その概要は次のようなものです。
 ──現代はポスト・モダン、ポスト・ナショナル、ポスト・グーテンベルク、ポスト・ヒューマンの4つの「ポスト」状況に陥り、書物/文字の読み書きをとおして「世界」を認識してきた従来の「人間の知の条件」が激しく揺らいでいる。人文知が現代的な状況のなかで再定義されるとすれば、情報の知と接続することにおいてであろう。鍵になるのが人文知の根本にある記号の知であり、セミオ・リテラシー(意味批判力)の涵養である。
 記号論が(マルチ)メディアの人文知ならば、(マルチ)メディアを「読む」ことが不可欠だ。一方で、現在でもテレビが(マルチ)メディアの中心的な位置を占めつつ人びとの日常生活を形づくっている。したがって、まずテレビを文字どおり「テクスト」として記述できるメタ言語の整備が急務である。それが「テ
レビ分析の知恵の木」プロジェクトの眼目だ。
 具体的には、テレビ番組をパソコンにとりこみ、創作用のビデオ編集ソフトを分析ツールとして逆利用して、番組の形式的特徴を記述する。実際のニュース番組を微視的に記述すると、たとえば映像シークエンスのつなぎ方とアナウンサーの読みとの微妙な重なりやズレがどのような効果を生むか明確に把握できる。あわせて概念の整備と理論の体系化をすすめ、ハイパー事典として構造化していく。「木」のメタファーによるこの事典では、利用者は素材(テクスト)と理論とを自由に往還でき、それぞれの関心に相応しい利用が可能だ。これを研究者たちの共同作業による「集合的知性」の実験と実践の場ともしたい。現在は上の全体構想のもと素材を蓄積している段階だが、将来的には実装をめざしている。
 発表に引き続いて、質疑応答が行われました。主論点を二つあげます。
 (1)「知恵の木」に市民のアクセスは想定されているか?
 ──基本的には研究者限定と考えている。他領域と連携していくとしたら、「知恵の木」に付加するのではなく隣の「木」となるだろう。
 (2)テレビの記号論ではテクストに目が向くあまり、受け手が捨象されているのではないか?
 ──文化研究のオーディエンス論も、言語学でいうポストソシュール派的な枠組みを超克するものではない。人文知の再編成を見据え、方法論として「テクスト内在主義者」の立場を選ぶ。
 すなわち、知の全体状況への批判的な認識を手放すことなく未来を見通し、同時に打開への道程を着実に歩むため、ときに戦略的に「本質主義者」の立場を引き受け、有用な知見を確実に積みあげていくということ。この懐の深さこそ学術プロジェクトとしての「知恵の木」の神髄であり、テレビ映像の読み解き手法としてはもちろん、剛胆にしてしたたかな知性のあり方を示唆してもいる。そんな感想を私は抱きました。

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