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オルタナティブなテレビの仕組みと批判のエンジンを考える mell公開研究会2004.1
土屋祐子/2004.1

「オルタナティブなテレビの仕組みと批判のエンジンを考える:視聴率問題を業界論としてではなく・・・」

2004年はじめてのメルプロジェクト公開研究会は、さまざまなかたちでテレビ放送にかかわる人々をお招きし、テレビについての再考を試みました。当日はメルらしく、放送局や民放連などのテレビ関係者、教育関係者、学生など、テレビの送り手・受け手を問わず、さらに送り手は民放・NHKの別を問わず、多数の参加者を集めました。こうしたテーマの議論では、送り手を受け手が糾弾する、あるいは受け手に送り手が教えてあげる、といった図式が見られがちですが、この会場ではまさに球があちこちからポンポン飛んで来るかのごとく、意見・批判・提案が縦横無尽に交わされたのでした。実のある議論が展開されたことを、メルプロジェクト一同うれしく思っています。

メルプロジェクト2004年1月公開研究会
 「オルタナティブなテレビの仕組みと批判のエンジンを考える:
           視聴率問題を業界論としてではなく・・・」
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○日 時 1月10日(土)午後3時〜5時30分
○場 所 東京大学本郷キャンパス 大学院情報学環暫定建物二階会議室
○参加者 約50名
○テーマ 「オルタナティブなテレビの仕組みと批判の
      エンジンを考える:視聴率問題を業界論としてではなく・・・」
○登壇者 水島久光(東海大学文学部助教授)
     古川柳子(東京大学学際情報学府修士課程)
     林直哉(長野県梓川高校:メルプロジェクトリーダー)
     司会 水越伸(東京大学情報学環:メルプロジェクト・リーダー)
○ 報 告
 冒頭、司会の水越伸氏は、視聴率が放送を存立させるしくみ(=「メディアの下半身」)として機能しており、その産業メカニズムを理解することなしになされる「視聴率=悪」などの視聴率批判は批判足りえないと語った。また一方で、放送の下半身を支えるための一つの指標にすぎないはずの数値が、本来の目的から離れて一人歩きをしている現状についても指摘した。床屋談義的な批判や業界論に終始することなく、今の視聴率をどう健全に批評していくことができるのか。また、視聴率以外の下半身を持つオルタナティブなメディアのしくみにはどのようなものがあるのか。2つの問題が提起され、研究会はスタートした。
 3人の登壇者は、「視聴者」「制作者」「広告主」というそれぞれの立場から現在の視聴率について論じた。概略は以下のようなものである。高校生の放送部の活動などを通じ、長年にわたって市民とマスメディアの回路づくりに取り組んできた林直哉氏は、視聴者は、番組づくりへの参加意識や、番組や局を育てようという感覚は持っていないと指摘。一方で、視聴者=視聴率という捉え方が、企業・広告・放送局という送り手側の閉じた空間に蔓延しており、メディアと視聴者との回路が閉ざされてしまっていると述べた。この回路を開いていくために、受け手側による番組の2次利用の評価や、Webの活用なども含めた制作者と視聴者との対話の機会、制作者側の積極的な情報公開の促進などを提案した。
 テレビキー局に勤務し大学院にも籍を置く古川柳子氏は、制作者にとって視聴率は「なければいいな」という成績評価のようなものであるのと同時に、「どれくらいの人が見てくれたのかな」というオーディエンスのフィードバックとして関心をよせる両面があると述べる。また、テレビ局は多面体の組織であり、お客様をスポンサーと捉えている営業セクションも抱えていて、企業としては、視聴率という収益へ直結する数字の力はやはり大きいと語った。視聴率の精度が増すにつれ、「自分たちが伝えなきゃということが伝えられなくなる」と数字と対峙する制作者の葛藤にも触れた。また一方で、携帯電話への放送配信などメディア環境が変化する中で、現在の数字では測ることができない視聴が増加しており、「現行の視聴率は限界である」と指摘する。「もう1回見たい」などの満足度調査、視聴質調査など、視聴率とは別の複数の指標づくりや、数字以外の視聴者との双方向性にテレビ局自身、試行錯誤しながらも取り組んでいると述べた。
 広告業界での経歴が長く、広告主協会でインターネットの指標に関する調査研究を手がけてきた水島久光氏は、2人の話を受け、視聴者だけでなく実は広告主も、今の番組制作から除外された存在であることを指摘した。あらゆるビジネスにおいて、数字は利益をもたらす為に「つくるもの」として存在している。放送事業者は、視聴者にテレビを“見させて”数字を生みだし、広告主を説得するために最も効果的な数字を探し出す。結果、数字の向こう側にあるもの——それが視聴者であれ、広告主であれ——は「操作対象」にすぎず、極めて疎外されている、と主張。また、視聴率や視聴質などの「メディア・コンタクト」(これ自体も極めて高い多様性を持つが)だけでは実際の購買行動は説明できないことを指摘、複数の指標の必要性を説いた。
 ディスカッションでは、3人の話を受けて、「視聴率の“君臨”」を維持する構造として、相互の回路が分断されている「視聴者」「メディア」「広告主」の3者の図が示された。問題は視聴率そのものにあるのではなく、視聴率が“君臨”していること、またそれを維持、強化している構造にある。視聴率を“君臨”させないようなしくみを構築するために、3者間の分断を埋めていくことが議論された。その具体的な提案として番組審議会の“健全な”活性化や賞(Award)の設置、視聴質調査など、メディアと市民をつなぐ複数の回路の有り様が論じられた。また、番組審議会に関しては、複数のテレビ局関係者から現状どのように行われているかの説明があったが、一部の有識者だけが参加する、審議会の報告が人々に伝わらないなど、その閉鎖性が複数の参加者から指摘された。
          ***
 メディア環境の著しい変化が視聴率で測れない視聴行動の増加を促している、との話が興味深かった。視聴率は広告財源の指標として定着してきた。しかし、それが絶対ではなく一つの指標でしかないことを、この変化は浮き彫りにする。市民とメディアの回路を大事にした新たな指標、またそれに基づく新たな財源モデルづくりへと、この混沌はテレビ再構築へのチャンスとなる、そんな期待を抱かせるディスカッションだった。

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